ふと思う。「もしも」こんなことが起きたら、どうなるんだろう?
毎日まいにち思う。でも、これといったことは起きない。
最近というより、多いのが不安。不安はどこから誘われるのかわからないけれど、急にやってくる。
無意識に。言葉に。
一日の終わりでも、この先でも、どんなときだって。
すぐに。
ふと思う。どうしてこんな考えに?
いい意味でも悪い意味でも、夢みたいなことがたくさん出てくる。わたしはゆめをみているのだろうか?
ゆめは、見ていない。ただ、周りがゆめのようになっているんだろう。きっとそれでいい。
わたしはここで、誰もいない。誰も見ていないであろうここを、ゆっくりと増やして減らして。心があたたかく、ゆめごこちになるような雰囲気を楽しむべきなのだ。
一日、毎日。不安だらけであったけれど、結局思うのが、どうしてそんな不安を出そうとするの?みたいなもの。
「もしも」って、そんなにわるいものだったっけ?
もちろん、私はいつもゆめみてるようなものだから、ゆめみたいな「もしも」を出して、過ごすことができる。
むずかしい。それをず~っと。出していくというのが。
さて。。。私のいいたいことはここで「もしも」話をして、たくさんのゆめごこちをとりだしていくことである。
今日からは、そんな気分。
私は私。でも、私ってかんぺきには思えない。そんな私がかんぺきになったらどんな一日を送っていたんだろう?
洗濯物はかかさず干していて、ごはんは白米を炊くだけじゃなくて、お料理もできている。プログラミングだってお手の物で、なんだってできる。あ、しっかりと早寝して、早起きも、予定も立てるのが得意。お掃除も忘れず毎日している。そんな子になっていたら...。
そんな子になってたら、何一つ不自由はなさそうで、楽しそう。なんなら、お料理ができるんだから、自分の作りたいものだってたくさん作れる。そんなすばらしいこと...。おそうじだって、毎日すれば、きっとほこりはたたないし、きれいだろう。プログラミングがたくさんできる子なら、つくりたいものだっていっぱいできるもの。
そんな子。それが「もしも」なのだね。
僕にとってのかんぺきは、そんなものだけど、正直言ってそーんなことするのはとーていむりだ!って感じてしまう。なんなら、いまのぼくだったら、おえかきたーっぷりして、みんなとおはなしして.......。とにかく楽しく過ごしたい!みたいな...。
でも、一つ思うんだけど、なんだかんだ。それができるようになると、楽しさもたくさん増えていくし、いいよねえ...。って。
まわりとかそんなことをきにせず。いえるのは、いまのわたしは、
お風呂には入れて
自分を褒めて
自分を肯定して
周りから言われたことは「へー」と思って
ただ自分のものおきにふいっとおいていく。
そんな楽な自分が、楽しいなと思いながら...。
かすかにピアノでゆっくりと奏でられていくように、ただ、何もない平然とした毎日で、毎日ひととはなしたり、いいものをみたり、嫌なことが遭っても、それをどうやって解決するか。みんなと考えたり...。
まあ...。今のじぶんはたりないかもね。と思いながら過ごしているけれど...。よくよく考えたら、自分は、なんだかんだ周りから助けられているし、自分自身にも助けられているんだろうなと...。
そんな自分は、「もしも」と、そんな風に今の自分に「否」をつけるのであれば、それは「否」じゃないよ。「良い」なんだよと...。
私は、頭の中でよくわからない不安に苛まれることがあるけれど、この不安は、見えない煙でできていて、ほんとはあるいいものが、見えないという、そういうもの...なんだと心の手でかき分けた後に気づいた。
完璧は、誰かに決められるものではない。自分で決めるべきだ。でも、ものさしのように、誰かを基準にして、これがかんぺきなんだと、自分の心に入れ込む。でもその基準は、難しいものである。これは、相手にしか分からないことを自分で入れ込もうとしてるから...。と、僕は考える...。
なんでもいいけれど、自分を基準にするんであれば、「ものさし」じゃなくて、「かけら」として取り込んでいく方が、よっぽど楽かも...。自分は自分だけじゃなくて、いろんな人のかけらによって、いきているのだから...。
誰かといっても、花でも、ふうせんでも、なんでもいい。あなたが「きれいだな~。すてきだな~。」と思うものを見つけて、それを入れ込んでみよう。
...って感じかなあ...。なんだかんだ考えるだけで楽しいもんでもあるし、ある程度の夢を見れたよね~。
というわけでした。もしも「かんぺき」であれば、という話だったけれど、ゆっくりと落ち着いて書き出せたから、よかったよかった。今日の夜、いい夢が見れたらなあ...。